「立教学院の教育がめざすもの」開催

立教学院創立150周年記念 一貫連携教育シンポジウム

2023/10/27

OVERVIEW

立教学院創立150周年記念シンポジウム「立教学院の教育がめざすもの~立教学院一貫連携教育の歩みと未来~」が7月21日、立教大学池袋キャンパスで開催されました。「一貫連携教育」という先進的な構想を生み出した寺﨑昌男立教大学名誉教授の基調講演のあと、立教学院各学校長の現状報告と展望、料理研究家のきじまりゅうたさんら小学校から大学までを立教で過ごした3人の卒業生・現役学生の発表が行われました。

塚田院長の手招きで始まった「寺﨑答申」

基調講演を行った寺﨑昌男名誉教授

寺﨑昌男名誉教授は1998年2月に、「立教学院一貫連携教育の目標と構想」の答申を塚田理立教学院院長(当時)に提出した立教学院教学企画委員会の委員長です。いわゆる「寺﨑答申」の理念と舞台裏を語ってくださいました。

今年で私は91歳になります。約25年前、60歳代の半ばぐらいに皆さんと一緒につくった答申がまた注目され、一貫連携教育推進室までできるというのはうれしいことです。

当時どんな気持ちで、この答申をまとめたのか。その背景や思想を聞きたいという要望をいただきました。歳をとりますと、そういう話は大好きなんですね。

1997年5月半ばだったと思います。大学総長でもあった塚田先生が私を「ちょっと、ちょっと」と呼ぶんです。あの先生がニコニコしながら「ちょっと」と呼んだ時は、とっても危険なんです。私が全学共通カリキュラム(以下、全カリ)運営センターの初代部長を仰せつかったのも、同じような状況でしたから(笑)。

塚田先生はおっしゃいました。
「ご存じかもしれませんが、池袋と新座に一つずつ中高一貫校ができます。池袋には上(高校)、新座には下(中学)ができます。ついては、その全体を通した教育理念というものをつくっていただきたい」 「(2校の中学校・高等学校が)大学、小学校とどう関係を持つかもはっきりさせていただきたい」私はためらう気持ちと積極的な気持ちという、相反する気持ちで引き受けました。

※ 1997年当時:立教小学校(池袋)、立教中学校(池袋)、立教高等学校(新座)、立教大学(池袋・新座)
  2000年4月:立教小学校(池袋)、立教池袋中学校・高等学校、立教新座中学校・高等学校、立教大学(池袋・新座)


6年間一貫したカリキュラムを考えなければいけない。大変なことです。一方で、現状が改善されるならいいことではないかと思いました。全カリ部長をしていた時、大学側の傲慢さと高校側の卑屈さを感じることがありました。継ぎ目のところ、英語で言えば、アーティキュレーション(articulation)だけが陰険な形で問題になっていると思っていたからです。

委員は10人。チャプレンと2人の職員以外は小・中・高、大学の代表者です。塚田先生から9月末ぐらいまでにと言われましたから、4カ月しかない。夏休みもある。合宿しかありません。御殿場で2泊3日、徹底的にやりました。珍しく、お酒を一杯も呑まずに、やりました。さらに秋まで議論を続け、やっと年末に完成しました。そこで、分かりやすく図にして欲しいと言われました。私にはできないので、皆さんがつくってくださいました。

aim(目的)とgoal(目標)

基本は「キリスト教に基づく人間形成」です。聖書と礼拝によって支えられた人間教育。これが英語で言えばエイム(aim)。狙う方向性。基本目標はすぐできました。

具体的に何を目指すか。先生方が言われたことを二つにまとめました。

一つは「テーマをもって真理を探求する力」です。「テーマをもって」というところが、特に大事なんです。そのためには ①探求心、知的好奇心 ②自己啓発と努力を楽しむ力 ③自ら“問い”を発する力 ④既存の知について疑問を持つ力が必要だとしました。

今から思うと、すごく先進的だと思いませんか。今、学習指導要領が言っているのは、全部この考え方です。
「既存の知について疑問を持つ力」については、よくぞ書いたと思います。自分たちの持っている既存の知の体系は限られているものである。それは大事なものではあるけど、謙虚に反省し、知の体系に挑んでいけるか。

もう一つは、人間として「共に生きる力」としました。

この二つは英語ではゴール(goal)とかオブジェクティブ(objective)になります。目の前にある具体的な目標です。この目的(aim)、目標(goal)がなければ、カリキュラムはつくれません。それは各学校の仕事になります。

そのベースとして要求したのは「基礎理解」「基礎表現力」を育成することです。この表現は相当苦労したんですよ。「基礎学力」という言葉は曖昧です。では「基礎理解」「基礎表現力」の基本は何かと言えば、「豊かで的確な日本語を使う能力」「生きた英語を使う能力」ということになります。この二つは塚田先生のご希望でもありました。

「一貫連携教育」のネーミングは中島中学校教頭

最後に、題名をどうするか。「一貫教育」でいいでしょうか。私の疑問でした。

その時、はっきりと「違う」と言って、道を開いてくださったのが中学校の教頭だった中島博先生です。「一貫連携」でいきましょう。はっきりとおっしゃった。「連携」をつけてお互いに教育していきましょう。「連携」がなきゃ、だめですとおっしゃったんです。

ここで初めて「一貫連携教育」という言葉を使うことができました。日本のどこでも使っていなかった言葉です。

幸いに、大学も変わりつつありました。1997年から全カリが実施されました。私がそのプランニングの最初の部長でした。その流れで私は、「これから立教は世間の常識と違って、『専門性に立つ教養人』を育成していきましょう」と申し上げました。今まで大学は「教養のある専門人」をつくることを考えてきた。その考え方はやめましょう。

では、「教養ある専門人」はどこで育成するのか。大学院でしょう。これから大学院は増える一方です。立教もきっと大学院が中心になる。ちょうど全カリが発足したところでしたから、新しい一貫連携教育のカリキュラムも考えやすかったですね。

そうやって何とか答申を提出することができました。諮問されたのが5月半ば。合宿をやったのが8月末。一応成立したのが9月末。しかし、「分かりにくい」「チャートにしてほしい」などと注文を受けながら、やっと完成したのは翌1998年の2月でした。

今から思えば、この答申には個人的な思いがあります。この頃、日本でも「知と人間との関係をどうつけていくか」ということが議論になっていました。子どもたちは学びたいと思って学んでいるか。本当に聞きたいと思って聞いているか。子どもたちは同感する力(sympathy)はあっても、共感する力(empath)がない。たびたび、そう言われていました。

小学校では1、2年生の社会科と理科を統合して生活科が出来上がりました。加えて、小学校から高校を卒業するまで、総合的な学習の時間がつくられた。子どもたちにおける「知と人間との関係」をどうつけていくか。その議論の末にできた、いわば学習指導要領上の模索なのです。

新しい総合学園へ、「情報の連携」を

私は東京大学教授時代、附属校(東京大学教育学部附属中学校・高等学校/当時)の校長をやりました。そこで一番特徴的だったカリキュラムは、卒業研究という活動、すなわち卒論をつくることでした。私も3年間で9人の生徒を実際に指導しました。そこで分かったのは、ごく普通の生徒たちでも本気で勉強していけば、秀れた論文を書くところまでやれるんだということです。中には東大の学生よりも奥深い卒論を書いた生徒もいました。

勉強することに意欲を持ち、方向性をきちんと教えてもらえば、これだけの成果をあげられる。論文に取り組み、現実に苦労してみることで、子どもたちはやっと、問うとは何かが分かったんです。

立教池袋、立教新座の両高等学校でも先生方が卒論を課していらっしゃいますね。とってもいいことだと思います。ぜひ、お続けいただきたいです。「一貫連携教育」を推進していく過程で生まれてくるものは何か。独立した学校からなる総合学園です。各校の協力のもとに運営される新しい総合学園の姿が、「一貫連携教育」によってつくり出されます。

あとは教科ごとのタテのつながりを強化していかなければならない。私は松平信久先生(元立教学院院長、立教大学名誉教授)ならびに英語の鳥飼玖美子先生と中・高の英語の先生方との共同学習を10年間続けました。例えば、小学校の一番上の英語と、中学校の入口の英語で、何が問題なのか。情報を交換することで初めて分かったことがありました。ですから、連携の一つは「情報の連携」です。その次は「活動の連携」と「指導の連携」だと思います。

理念は色あせず、各校で実践・成果

続いて各学校長によるパネルディスカッションが行われました。
佐藤忠博立教新座中学校・高等学校 校長

佐藤忠博立教新座中学校・高等学校 校長(右)

「テーマをもって真理を探求する力」を育てるため、本校では高校3年時に卒論を書かせています。4月に3年生一人一人に主査となる教員を決め、11月まで1対1で対応しながら仕上げていきます。そのプロセスを大切にしています。また、「共に生きる力」を育てるために、本校ではグローバルリーダーを育成することを目指しています。国境や宗教などの垣根を設けず、一人一人をかけがえのない個と捉え、その個を結びつけ、集団を高めていける架け橋のような存在になる人を育てたいと思っています。
豊田由貴夫立教池袋中学校・高等学校 校長

豊田由貴夫立教池袋中学校・高等学校 校長

ここ3年ぐらい本校では教育目標について議論し、3つの目標を立てることができました。「リーダーシップ教育」は誰でも身に付けることができるスキルだという考え方に基づいています。「シティズンシップ教育」は社会の一員として何ができるかを常に考える態度を身に付けましょう。「グローバル教育」はローカルな視点も重要視しようと考えています。最後に課題は本校としては全教職員への周知、学院全体としては大学教員への周知が不十分ではないかと、元大学教員として感じております。
田代正行立教小学校 校長

田代正行立教小学校 校長

本校がいま力を入れている一つは2027年竣工予定の新校舎建設です。ハコを造るのが先ではなく、本校の教育ビジョンに適した校舎があとについてくる。前校長の佐々木正先生の考えに全教職員一同が賛同し、教育コンセプトをつくり上げました。一人一人の主体的な学びと、対話による学びによって、自分自身で問いを立てて答えを導く。それをみんなの力でさらに発展させていく。学びが循環していく。学びが教室から飛び出して、ワクワクするような校舎をつくりたいと考えています。
西原廉太立教大学 総長

西原廉太立教大学 総長(左から2人目)

立教学院の一貫連携教育の課題は、これを完成させる場である大学にあるというご指摘はその通りです。ただ、いくつか仕掛けはしています。2010年に学士課程教育の使命を「本学の建学の精神であるPRO DEO ET PATRIAに基づき、普遍的なる真理を探求し、私たちの世界・社会・隣人と具体的につながり、そのために働くことができる専門性に立つ教養人を育成すること」としました。これは「寺﨑答申」に示された2本柱の大学的解釈にほかならないのです。大学の教職員がそれを認識してもらうようにしていきたいと考えています。
塚本伸一立教学院一貫連携教育再編担当理事(司会)
寺﨑先生にご尽力いただいた立教学院の一貫連携教育の理念は、25年経っても色あせずに、意欲的な教育実践が各校で行われ、確実に成果をあげていることが分かりました。その一方で、大学までの進学をつなぐという認識がいまだに存在しています。それを克服するための仕掛けが大学を中心に行われています。寺﨑先生のお言葉を借りれば「真の新しい総合学園」へと発展していくための努力が私たちに課せられていると思います。

「男が料理」背中を押された料理研究家のきじまりゅうたさん

きじまりゅうたさん 料理研究家(左)

最後に小学校から大学まで立教学院で育った3人が順番に登壇しました。

まず料理研究家のきじまりゅうたさん(2004年立教大学観光学部卒)が、田代正行立教小学校校長と対話形式で、立教学院で過ごした16年間を語ってくださいました。

当時から料理好きだったきじまさんは、立教小学校で、のちに校長となった田中司先生から「杵島(本名)は好きなことをやっている。それが得意な分野として伸ばしていけばいいんだ」とすごくほめてもらい、「男が料理やってもカッコいいのかな」と初めて自己肯定ができたと言います。

さらに「小学校はクワイア(聖歌隊)、中学校はボーイスカウト、高校がアメリカンフットボールという立教のど真ん中をやったのに、いま料理研究家です」と聴衆を笑わせたあと、「クワイアは大学生に教えてもらい、ボーイスカウトは高校生や大学生がキャンプに引率してくれました。アメフトは大学と合同で合宿をしました」と振り返り、「一貫連携教育について勉強の面ではよく分からなかったですが、当時から、お兄ちゃんたちに世話をしてもらってきたなと実感します。立教のいいところですよね」と語った。

その上で「そういうお兄ちゃんと弟の関係をもっとつくってもらえると、さらにいいかなと思います」と提言してくださいました。
最後に玉川雅久(たまがわがく)さん(立教大学経営学部国際経営学科4年次=立教小学校、立教新座中学校・高等学校)と、阿野苑弥(あのえんや)さん(立教大学経営学部経営学科4年次=立教小学校、立教池袋中学校・高等学校)が自身の経験を発表しました。

玉川さんは「自分はレールの上を走るのは好きではないが、敷かれたレールの上で何をするかは自分次第。いい意味で自由な環境で、主体的に行動することが大切だと思います」、阿野さんは「16年間過ごして、自分のやりたいことを自由に探求することができる場所、個性を認めてくれる教員、仲間に出会える場所だったと感じています」と語りました。

玉川雅久さん 立教大学経営学部国際経営学科4年次

阿野苑弥さん 立教大学経営学部経営学科4年次

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