人形の「技」と「心」を次代につなぐ
株式会社久月 専務取締役 横山 久俊さん
2019/11/26
OVERVIEW
小学校から大学まで立教学院で過ごし、現在は、家業を継いで株式会社久月で専務取締役を務めている横山 久俊さん(2005年経済学部卒業)にお話を伺いました。
立教での日々は自分の原点
小学校の卒業式で、恩師の川上喜久先生と(左から3番目が横山さん)
家業を継いで、江戸時代から続く人形の製造問屋である久月の専務取締役を務めています。もともと父が立教出身で、自分も小学校から立教へ。中高大と進み、銀行勤務を経て現在に至ります。
今でも思い出すのは、立教小学校で指導を受けた川上喜久先生のこと。同級生は元気過ぎるほどで、低学年の頃はささいなことで喧嘩になる場合もありましたが、先生は止めに入るのではなく、全員に指示して机をどけるのです。「さあ、ここで存分に喧嘩しなさい」と言われると、こちらは冷めてしまう。きっと狙い通りだったのだと思いますが、どんな場面でも冷静さを失わず落ち着いて行動することができているのは、川上先生のおかげかもしれません。
さらに、小中高を通して「自ら考える」機会に恵まれたことも、自分の土台を形成したように思います。例えば小学校で体験した、軽井沢の「みすず山荘」で他学年と一緒に活動する縦割りキャンプ。上級生になると、何か問題が生じたときに自分で対処しなければなりません。どう解決すべきかを考え、判断し、自主的に動く。人生のあらゆる場面で求められる力の基礎がそこで培われたと思います。
また、中学の修学旅行は生徒自身が行きたい場所を考え、レポートを書いて行先を決める自由なスタイルでした。私は興味があった『遠野物語』の舞台について調べ、実際に東北を訪れました。修学旅行を自分で考えつくり上げる感覚は新鮮でしたし、友人たちの興味・関心の幅広さを知って驚いた記憶もあり、思い出深い経験です。
今でも思い出すのは、立教小学校で指導を受けた川上喜久先生のこと。同級生は元気過ぎるほどで、低学年の頃はささいなことで喧嘩になる場合もありましたが、先生は止めに入るのではなく、全員に指示して机をどけるのです。「さあ、ここで存分に喧嘩しなさい」と言われると、こちらは冷めてしまう。きっと狙い通りだったのだと思いますが、どんな場面でも冷静さを失わず落ち着いて行動することができているのは、川上先生のおかげかもしれません。
さらに、小中高を通して「自ら考える」機会に恵まれたことも、自分の土台を形成したように思います。例えば小学校で体験した、軽井沢の「みすず山荘」で他学年と一緒に活動する縦割りキャンプ。上級生になると、何か問題が生じたときに自分で対処しなければなりません。どう解決すべきかを考え、判断し、自主的に動く。人生のあらゆる場面で求められる力の基礎がそこで培われたと思います。
また、中学の修学旅行は生徒自身が行きたい場所を考え、レポートを書いて行先を決める自由なスタイルでした。私は興味があった『遠野物語』の舞台について調べ、実際に東北を訪れました。修学旅行を自分で考えつくり上げる感覚は新鮮でしたし、友人たちの興味・関心の幅広さを知って驚いた記憶もあり、思い出深い経験です。
日本の伝統を世界に発信
小学校時代の同級生とは、現在でも親交がある特別な間柄。写真は運動会での1枚
いずれは会社を継ぎたいという気持ちと、金融に興味があったことから、大学では経済学部に進学。就職活動では、金融系のゼミで学んだことを生かすとともに、久月と規模が近い中小企業の経営者と話す機会を得たいと考えて銀行を選びました。そこで接した経営者の方々がそろって「経営は大変だが楽しい」と語っていたことに当時の私は勇気づけられたものです。そして今、実際に自分の手でより良い会社をつくるという挑戦に大きなやりがいと楽しさを感じています。
人形は、箔、漆、染色、織りなど日本の技の粋が詰まった伝統的な文化や技術の集大成です。それらと一緒に受け継がれてきた日本人の心も含め
て、国内外の人々に広く発信していくのが自分の使命だと捉え、これからも日々の仕事にまい進していきたいと思います。
人形は、箔、漆、染色、織りなど日本の技の粋が詰まった伝統的な文化や技術の集大成です。それらと一緒に受け継がれてきた日本人の心も含め
て、国内外の人々に広く発信していくのが自分の使命だと捉え、これからも日々の仕事にまい進していきたいと思います。
※本記事は、『立教学院NEWS』Vol.33(2019年11月)の記事を再構成したものです。記事の内容およびプロフィールは、取材当時のものです。
プロフィール
PROFILE
株式会社久月 専務取締役 横山 久俊さん
立教大学経済学部経済学科(2005年卒業)